海溝

覚書とか忘れたいこととか

東京にいる理由がわからない

ひと月ほど前、《ここは退屈迎えに来て》という映画を観た。

山内マリコの同名小説が原作の映画である。

ここ数年、めっきりアニメ以外の邦画を見ることが減ってしまったので、夏の終わりに観たカメラを止めるなぶりの邦画鑑賞となった。

映画はそこそこ面白くて、なんかちょっと前に話題になった《桐島、部活やめるってよ》的な、「特筆すべきではない点を敢えて見せてる」みたいな雰囲気があってとても楽しめたのだが、登場人物の設定であったり舞台だったりがわりとこう、容赦なく私の心臓に刺さってくる感じがして結構辛かった。


とある地方で生まれ育ち、1度は東京で暮らしたものの、思うところあって帰郷し再就職する「私」とその周辺の人達のことが淡々と描かれるなんてことはないストーリーで、多分人によってはこの映画の存在自体が最高に「退屈」で迎えに来てー感じになるのでは?とすら思えてしまう。

しかしもう一度言っておくが、私にとってはかなり面白い部類に入る映画だった。


それは恐らく橋本愛演じる「私」と私は年齢も近く、休日遊びに行くと言えばイオンくらいなド田舎を故郷に持つという共通点があったからだろう。

別に橋本愛と自分を同一視してるわけではないです。

さて、そんな「私」と私の1番大きな相違点と言えば、最終的に東京を捨てて帰郷したか否かという点だ。

色々あった末に帰郷を選んだ「私」と色々あるけどなんやかんやで東京にいる私。その差は一体何なのだろう。


そんなことを考えていると、ふとメレンゲが《東京にいる理由》という名前の曲を歌っていたなあ、なんてことを思い出す。

私はべつに、この曲に出てくる人のように東京に縋らないといけないほどの大恋愛をしたわけでもなく、離れたくない人が現在進行形でいるわけでもない。

両親は地元で元気に暮らしてるし、不定期ではあるけど帰省もしてて家族仲はそこそこ良くて、帰る場所がない訳でも無い。

【じゃあ私にとっての東京にいる理由って何だ?】

人生における節目節目(ってほど大したものでもない気がするけど)で、いくらでも帰郷するという選択肢を選ぶチャンスはあったはずだったのに、私は何故選ばなかったのか。

何故東京に留まり続けているのか。

何がそうさせているのか。

今日はそれについて少し考えてみたい。



私は18の春に大学進学と同時に東京に出てきて、以来住む土地はころころ変えつつも何やかんやで東京に暮らし続けて今年で11年目になる。埼玉に住んでた時期もあるけど、大学も職場も東京だったので東京ってことにしておいて欲しいです。


まず、東京にある大学(都内にある私立の音大)を選んだ理由は、

①師事したい先生がそこの大学にいたから

②芸術を学ぶなら田舎よりは東京の方が良いような気がしたから

③親からの経済的な援助を受けられたから

という感じである。

東京なら何でもある!という漠然とした憧れのようなものは強かったので、この3つの中だと②が1番大きな理由となるだろう。

学びたいこともあったけど、遊びたかった。

そういうことだと思う。いやーティーネイジャーなんてそんなもんよな。

実際、めっちゃ楽しかったです。

行きたいライブにはすぐ行けるし、行きたい同人誌即売会にはすぐ行けるし、勿論クラシックのコンサートにも結構通ったけども!


さて、大学も3年生になると大抵の人が考えるのが就職・進学である。

私が通っていたのは音大だったので、一般的な大学に比べると就職活動をする人間は少なく、スーツ着て講義に出ようもんなら「え、お前シューカツなんかやってんのか」みたいな目で見られることが多かった。

しかし、私はとりあえず早いうちから自分の技術に限界を感じていたので、就職活動をしていたのだが、色々と思うところあって最終的には就職せず、教員を目指すようになった。

そう、この時も、私は最終的に東京を選んだ。

その理由は

①居心地が良くなったから

②あらゆる可能性が田舎に比べて多いから

③四つ下の妹がちょうど入れ替わりで同じ大学に進学することになったから(子守りを任された)

といったところだろう。

実家に帰って地元で教採を受けるという選択肢もあったが、結局は「えー折角東京に染まってきたのにー」みたいなプライドが邪魔をした。

平たく言ってクソである。親的には③要員として重宝していたと言ってたけども。震災の後だったしね。


さて、教採の勉強をしながら非常勤の仕事を掛け持ちで始めた私だが、そのうちある人との出会いによって幼稚園教諭と保育士の免許・資格を取得することを目標とし始める。

この時点で確か23とか24とか、まあまあいい歳だったので、とりあえず親に相談をしたところ、「え、いいと思う」というゆるーい回答を頂いた。

かくして専門学校に入り直すのだが、この時も当然のように東京に留まることを選んだ。

理由としては、

①妹がまだこっちに居るから

②学校の数が圧倒的にこっちの方が多い

③東京で出来た友達が多くなった

④今更帰っても田舎のあらゆる不便さに適応するだけの体力がないと思った

というところだろうか。

もうこの辺りになってくると、親も「もう帰って来んのじゃろ」と、勝手に解釈して勝手に納得するようになっていた。

私が「こっちで骨を埋めるからよ」と宣言したわけでもないのに。親ってのはわかってないようで子どものことをよくわかってるものなんですね。


そして、最後のターニングポイントが就職である。

資格が無事に取れる目処がたち、就職活動を始めた時も、当然のように東京を選んだ。

理由は専門学校に入り直した時と大差ないと思うので、省略したい。

身も心も東京に染まった10年物のシティーガールに下手な注釈は不要だ。ということにしておく。



…と、時系列に沿って私が東京にいる理由を書き連ねてみたが、一言でまとめると、まあ「住めば都」。この一言に尽きる。記事書くのに飽きてきて無理やりまとめてるわけじゃないですよ。ほんとにそう思ったから!


18年間生まれ育った岡山県倉敷市が嫌いな訳では無い。

帰省したら野山を駆け回って遊びたくなる衝動に駆られるし、瀬戸内海のベタ凪を見ると「やっぱ海といえばこれっしょ」ってなる。

でも、そこにはもう私の居場所はない。

(何をもって自分の居場所とするのかって聞かれたら、またちょっと考えなきゃいけないんだけども。)

何はともあれ、最初に抱いた「遊びたーい」という単細胞的願望が、東京で暮らすうちに価値観や思考とかそういう根本的なものも変えていった。

そうしているうちに、ありとあらゆるチャンスがあって、まだ知らない沢山の人たちと、残念ながら疎遠になってしまった人たちが住んでいる東京の方が、肌にあうようになってしまったのだな。私にとって。


そういえば《東京にいる理由》で、クボくんは「また会えるから、じゃあねって言葉がある」「あの人を想うと胸が苦しくなる そんな感じに似ている」と歌ってるけど、私にとって故郷を思うときがまさにそれで、胸がちょっと苦しくなる。

でも故郷は故郷のまま、故郷としてそこにあるわけで、よっぽどのことがない限りなくなることは無いし、お金を払えば何時だって帰れる。

私にとって故郷は「じゃあね」って言って旅立つ存在である方がしっくり来るようになってしまったから、東京に居続けてるのかもしれないなあ、なんてことを、年末の忙しい時期に、このとてつもなく美しい失恋ソングを聴きながら私は考えるわけでした。

想うと胸が苦しくなる人も、居ないことはないけどね。